教え


 1、人間と真実の生き方(教義)

『人間は本来、神の分霊(わけみたま)であって、業生(ごうしょう)ではなく、つねに守護霊、守護神(しゅごじん)によって守られているものである。
この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世(かこせ)から現在にいたる誤てる想念が、その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。
いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなかにあっても、自分を赦(ゆる)し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真(しん)の救いを体得出来るものである。』

創始者 五井昌久(ごいまさひさ)先生は、人類の一人一人が本当に幸せであるためには、世界が平和でなければならない、即ち、個人の幸せと世界の平和とは、まったく一つであるとして、「個人人類同時成道」の教えを提唱しました。その教えは、「人間と真実の生き方」に表わされています。

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2、「我即神也(われそくかみなり)」と「人類即神也(じんるいそくかみなり)」の宣言文と印(いん)

人間は生命そのものであり、宇宙神(大生命)と一つにつながっています。そして内に無限なる能力、無限なる可能性を有しています。西園寺昌美会長は、そのことを徹底して意識することを勧め、「我即神也」「人類即神也」(宣言文)の教えを説きました。「我即神也」とは、自分自身に語りかけ、自らの本心に向かって宣言するものであり、「人類即神也」とは、すべての人の中の神性に向かって、人類すべてが“我即神也”に目覚めるよう、宣言しています。

 我即神也(われそくかみなり)
『私が語る言葉は、神そのものの言葉であり、私が発する想念は、神そのものの想念であり、私が表わす行為は、神そのものの行為である。
即ち、神の言葉、神の想念、神の行為とは、あふれ出る、無限なる愛、無限なる叡智、無限なる歓喜、無限なる幸せ、無限なる感謝、無限なる生命(いのち)、無限なる健康、無限なる光、無限なるエネルギー、無限なるパワー、無限なる成功、無限なる供給……そのものである。それのみである。
故に、我即神也、私は神そのものを語り、念じ、行為するのである。
人が自分を見て、「吾(われ)は神を見たる」と、思わず思わせるだけの自分を磨き高め上げ、神そのものとなるのである。
私を見たものは、即ち神を見たのである。私は光り輝き、人類に、いと高き神の無限なる愛を放ちつづけるのである。』

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人類即神也(じんるいそくかみなり)
『私が語ること、想うこと、表わすことは、すべて人類のことのみ。人類の幸せのみ。人類の平和のみ。人類が真理に目覚めることのみ。
故に、私(わたくし)個に関する一切の言葉、想念、行為に私心なし、自我なし、対立なし。すべては宇宙そのもの、光そのもの、真理そのもの、神の存在そのものなり。
地球上に生ずるいかなる天変地変、環境汚染、飢餓、病気・・・・・・これらすべて「人類即神也」を顕すためのプロセスなり。
世界中で繰り広げられる戦争、民族紛争、宗教対立・・・・・・これらも又すべて「人類即神也」を顕すためのプロセスなり。
故に、いかなる地球上の出来事、状況、ニュース、情報に対しても、又、人類の様々なる生き方、想念、行為に対しても、且つ又、小智才覚により神域を汚(けが)してしまっている発明発見に対してさえも、これらすべて「人類即神也」を顕すためのプロセスとして、いかなる批判、非難、評価も下さず、それらに対して何ら一切関知せず。
私は只ひたすら人類に対して、神の無限なる愛と赦しと慈しみを与えつづけ、人類すべてが真理に目覚めるその時に至るまで、人類一人一人に代わって「人類即神也」の印を組みつづけるのである。』 

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